慈悲的性差別(Benevolent Sexism)とは、男性が女性を保護し愛するという、一見すると肯定的に見える性差別だ。慈悲的性差別は、女性が教育や職業上の目標よりも夫婦や親子など家族を優先することを促し、女性の能力開発や社会進出に対する意欲を損なう。私たちの意識と行動から慈悲的性差別を根絶することで、女性の自立と社会進出を助けよう。
この記事の目次
概要
慈悲的性差別は敵対的差別と表裏一体であり、どちらも明確な女性差別だ。慈悲的性差別は旧来的なジェンダー・ロールに沿う女性(例:良妻賢母)を賞賛し、敵対的差別は旧来的なジェンダー・ロールを外れた女性(例:自主独立)を軽蔑するが、どちらの場合も家父長制的な価値観に根差していることが共通している。
慈悲的性差別は伝統的なジェンダー・ロールを受け入れる女性を賞賛し愛情を与えるため、一見すると女性に対して肯定的だ。しかし慈悲的性差別も差別であり、女性を従属的な地位に押し込める抑圧的な性質がある[1]。慈悲的性差別を支持する女性は次のような傾向があることが知られている[2]。
- 学歴や職歴を追求する意欲が低い。
- パートナーを支援する役割を支持する。
- 意思決定をパートナーに委ねる。
- 男女関係は公正で公平であると認識している。
- 挑戦する女性に敵対的な態度を示す。
慈悲的性差別は、女性を弱いものとして子供のように扱う。甘やかされた子供が親への依存から脱することができずいつまでも自立できないように、慈悲的性差別を肯定する社会では女性の能力開発や社会進出が阻害され、社会や男性に対して依存的になって自立できない。このような構造は現代的な価値観に合わない。
また慈悲的性差別は女性に対して抑圧的であるのと同時に、男性に対しても抑圧的だ。男性を保護者の役割に押し込め、稼得役割や意思決定を強いるからだ。男性に対するこの抑圧は、男性の生きづらさの原因となっている。この抑圧について教育社会学者の多賀太[3]は著書[4]の中で次のように述べている。
男性の生きづらさの本質は、男性優位の社会構造を維持するために、能力発揮、成功、上昇へと駆り立てられること、すなわち社会的達成への脅迫にある。
「男子問題の時代?:錯綜するジェンダーと教育のポリティクス」多賀太[5]
慈悲的性差別は、敵対的性差別と同様、男女両方を傷つける。どちらもなくしていくべきものだ。しかし特に慈悲的性差別は、私たちのアンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み・偏見)に根ざしており、知識を持って自覚的に検証しなければ存在にすら気付かない。本稿ではこの慈悲的性差別とアンコンシャス・バイアスについて説明する。
両面価値的性差別とは
両面価値的性差別(Ambivalent Sexism)とは、「敵対的性差別」と「慈悲的性差別」の二面から性差別が構成されているとする理論的枠組みだ[6]。これらはどちらも男性権力、性役割分化、セクシュアリティ(性のあり方)を扱うもので、表裏一体である。この理論の提唱者であるピーター・グリックとスーザン・フィスクは次のように説明している。[7]
- 慈悲的性差別は、伝統的なジェンダー・ロール(性役割)を担う女性の保護や、女性の理想化といった、女性に対して肯定的な態度を含んでいる。
- 敵対的性差別は、伝統的なジェンダー・ロールに沿わない女性に対する罰や軽蔑などの否定的な態度を含んでいる。
- 慈悲的性差別も敵対的性差別も、家父長制と伝統的なジェンダー・ロールを正当化し、維持することに貢献している。
敵対的性差別と慈悲的性差別は、それぞれを補完する役割を持つ。慈悲的性差別は、女性が伝統的な性役割を遵守することと引き換えに男性が女性を保護し資源を供給することで、伝統的な価値観への無意識の参加者として迎え入れる。敵対的性差別は、伝統的な性役割から逸脱する者を罰することによって現状を維持するために機能する。[8]
慈悲的性差別とは
慈悲的性差別(Benevolent Sexism)とは、男性が女性を保護し愛するという、一見すると肯定的に見える性差別だ。男性からの保護と愛は、女性が伝統的なジェンダー・ロール(性役割)に従うことと引き換えに与えられる。慈悲的性差別は敵対的性差別に比べて社会的に受け入れられやすい。[9]
慈悲的性差別の根底には、女性を美しく純粋、繊細で貴重な存在であるとし、女性は男性による保護を必要とするというパターナルな(父権的な)思い込みがある。慈悲的性差別は、女性が教育や職業上の目標よりも夫婦や親子など家族のケアを優先することを促し、女性の能力開発や社会進出に対する意欲を損なう[10]。以下はその例だ。
- 女性は気遣いや思いやりがある(女性は夫や子供を気遣い思いやる性である)
- 女性はか弱いので守られなければならない (女性は男性以下の存在であり男性に保護される必要がある)
- デートでは男性が支払うべきだ(女性に支払い能力は不要で男性に依存していればよい)
敵対的性差別とは
敵対的性差別(Hostile Sexism)とは、男性の優位性をあからさまに正当化する、あるいは保とうとするもの。強く敵対的なトーンで、伝統的なジェンダー・ロール(性役割)に適合していない女性に対するあからさまな軽蔑的態度を表現している[11]。ミソジニー(女性嫌悪)やセクシャルハラスメント、性的暴力を助長する[12]。以下はその例だ。
- 女性の幸福は男性に愛されることだ(女性は野心や自立心を持つべきではなく男性の保護下にあるべきだ)
- 女性は運転が下手だ(女性は無闇に出歩くべきではない)
- 女性の気分は変わりやすい(女性は不安定で職業人としての適性を欠いている)
典型的な慈悲的性差別の例
慈悲的性差別はは女性に対して憎悪を示すものではないが、女性を子供扱いし、無邪気で、純粋で、思いやりがあり、育てる性であり、もろく、美しいとみなす。これらの形容詞のいくつかは肯定的に見えるが、女性を男性より弱いとすることは深刻な差別だ。女性は子供ではないし弱くもない。[13]以下に慈悲的性差別の典型的な例を示す。
女性の食事代を男性が支払う
デートでよくある「男性が女性に自分の食事代を払わせない」ことは慈悲的性差別の例だ。これは男性による差別というだけの問題ではない。女性もまた、勘定を全部払わない男性をケチで男らしくない人だと認識する結果、このような性差別が男女それぞれの心に刻み込まれている。
このような行為を男女の賃金格差で正当化する人もいる。しかしこれはお金の問題だけではない。女性がお金を払うことを拒否することで、男性は女性に対する支配力を表明しているのだ。女性の個人的な決定に対する主体性を奪っているのである。これが、デート代の支出が性差別とみなされる理由だ。[14]
女性の外見を賞賛する
慈悲的性差別は、必ずしも慈悲的なものとして受け手に経験されるわけではない。たとえば、男性が女性の同僚に彼女の外見がいかに「かわいい」かについてコメントすることは、どんなに善意であっても、専門家として真剣に受け止められているという彼女の気持ちを損なう可能性がある。
Glick, P. & Fiske, ST (1996)[15]
女性が持つ他の属性ではなく特に外見を賞賛することは、外見以外の資質を重視しない姿勢の表れであり、女性の価値を妻や恋人など男性のパートナーとしてだけ認める価値観が表れている[16]。女性の外見を賞賛することは、女性の価値がその美しさによって決められる現状を正当化し、女性を異性愛者の男性に属するものとする性差別である[17]。
この偏見に基づけば、女性を魅力的にするためには美しさに投資することが正解となる。そうすれば男性が養ってくれるからだ[18]。この考えは当然、女性の主体性や能力開発にとってマイナスの影響がある。「外見以外の資質に投資しても評価されない」という考えを暗に含んでいるためだ。また、外見の賞賛が受け手にとって常に肯定的とは限らない。
一人前の大人の女性を養う
男性が一人前の大人の女性を経済的に保護することと、一人前の大人であるにも関わらず女性が男性からの経済的な保護に頼ることは、同じコインの裏表だ。本来の大人は他者からの経済的な保護など必要としない。女性を経済的に保護すれば、女性は経済的な自立を失い、本来なら大人として当然の勤労の権利と義務[19]を失う。
女性を経済的に保護することは、善意に見えるかもしれない。しかしこのような父権主義的な行動は、女性が壊れやすく、能力が低く、自分の人生やキャリアの決定を行うことができない、または行うべきではないことを前提としている。女性の能力をスポイルするものであり、慈悲的性差別の典型の一つだ。[20]
女性の優しさや思いやりを賞賛する
ダライ・ラマは「女性はより思いやりがあるので、より多くの女性リーダーが必要である」と述べて称賛された[21]。しかしこれは、そのステレオタイプに沿った女性リーダーだけを条件付きで支持するという表明にすぎない。ダライ・ラマは、そのステレオタイプに当てはまらない女性指導者についてどのように感じるのだろう?
女性に穏やかで柔軟なリーダーシップを期待すれば、自己主張の強い女性が不利になる。人々はそのような女性を「威圧的」または「厳しすぎる」と批判するようになるからだ。また、女性の方がより養育的で、思いやりがあり、直感的であると私たちが言うとき、私たちは男性の資質を、優しさ、思いやり、直感から遠ざけることにもなる。[22]
女性の感性や直感を賞賛する
女性には特別な感性があるという思い込みがある。神経学的により高い感情的知性(EI: Emotional Intelligence)を持っているとしたり、スピリチュアリズム的な文脈で地球や月と特別なつながりを持っているなどとし、それらが女性に第六感を与えているなどと主張する。
しかし「女性は直感的である」という主張は、女性を高慢にすると同時に、合理的な思考ができないという偏見を強化する。この結果女性は、理論を必要とする科学や工学のような職業よりも、教育やカウンセリングのような直感を必要とする職業に適していると考えられている。
また「女性は感情的知性が高い」という思い込みは、女性が自ら進んで感情労働を行い、対立を調停し、相談に乗ることなどを期待する。その一方でこの思い込みは、男性は感情的知性が低く、家事、コミュニケーション、その他の「女性的な」ことが苦手であるというステレオタイプを強化してしまう。[23]
女性を満足させ弱体化させる
慈悲的性差別は女性を弱体化させる。ローレンス大学心理学教授ピーター・グリック博士らの研究は、男性が慈悲的性差別を支持する傾向が強い国では、男性は女性よりも教育水準が高く、識字率が高く、収入が著しく高く、政治・経済分野に積極的に参加してることを明らかにした。慈悲深い性差別は数値に表れる客観的な男女不平等を生み出す。[24]
また、独オスナブリュック大学社会心理学教授ジュリア・ベッカー博士らによる研究[25]は、慈悲的性差別が女性にとって有害であることを詳しく説明した。一連の実験で女性たちは、敵対的な性差別(例:女性はすぐ怒る)または慈悲深い性差別(例:女性には男性にはない思いやりがある)を示す文を読まされた。その結果は次のようなものだった。
- 慈悲的性差別を示す文を読んだ女性たちは、反性差別的な集団行動、たとえば署名活動や集会への参加、あるいは一般的に「性差別に反対する行動」をとる意欲が減退した。それだけでなく、女性であることには多くの利点があると考え、また、現代社会で不利なグループ(女性など)が直面している問題はもはやないと信じた。
- 敵対的性差別を示す文を読んだ女性たちは、逆の効果を示し、集団行動を意図する傾向が強く、日常生活の中で性差別と闘う意欲が強かった。
慈悲的性差別を示す文を読んだ被験者は、自分自身が優れた資質を持っていることに気を良くし、現状に満足した。これはある意味では敵対的性差別よりもさらに悪い。慈悲的性差別は褒め言葉として発せられるため、反差別に対する人々のやる気を削いだり、もはや平等のために戦う必要はないと思わせることが容易にできるのだ。[26]
慈悲的性差別は良いものではない。なぜなら、その受け手は気分を良くするかもしれないが、その土台は伝統的な男性優位のステレオタイプ(例えば、提供者としての男性と彼の依存者としての女性)にあり、結果として女性にダメージを与えるからだ。
Glick, P. & Fiske, ST (1996)[27]
慈悲的性差別にはさらに危険な性質がある。フロリダ大学心理学教授マーティン・ヒーサッカー博士らの研究は、慈悲的性差別は社会構造的なレベルでは不平等を永続させる一方で、個人的なレベルでは生活満足度を向上させることを示した。ここで得られた知見は、慈悲的性差別の蔓延を減少させるための介入の必要性を示唆している。[28]
アンコンシャス・バイアス
性役割についてのアンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)は性差別と強く結びついている。内閣府による第5次男女共同参画基本計画[29]の「第1部 基本的な方針」では、我が国における指導的地位に就く女性を増やす取組の進展が未だ十分でない要因のひとつにアンコンシャス・バイアスがあるとして、次のように述べている。
③社会全体において固定的な性別役割分担意識や無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)が存在していること
第5次男女共同参画基本計画[30]
上記をふまえ内閣府は、新たな調査項目を加えた「令和4年度 性別による無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)に関する調査研究[31]」を実施した。その目的は「アンコンシャス・バイアスについて、気づきの機会を提供し、理解を促すことでその解消を図る」ことだ。以下がその質問項目と男女別の回答である。
上の画像を一見しただけでも、ほとんどすべての項目において、男性のほうが女性よりも性役割について強い偏見を持っていることがわかる。この41の質問項目はすべて内閣府が「解消を図る」べきとしているアンコンシャス・バイアスだ。敵対的性差別にあたるものもあれば慈悲的性差別にあたるものもあるが、どれも差別的な偏見である。
この調査結果から、男性の回答を100としたときの女性の回答を指数とし、この指数の大きいもの(つまり男女が同程度の偏見を持っているもの)から降順に質問項目を並べ替えたのが以下の表だ。表の下部に位置するものほど、男性の偏見のほうが女性のそれよりも大きいことに注意して見ていただきたい。
男性 | 女性 | 指数 | ||
1 | 女性は感情的になりやすい | 35.3 | 37.0 | 104.8 |
2 | 男性は気を遣う仕事やきめ細やかな作業には向いていない | 19.1 | 19.0 | 99.5 |
3 | 育児期間中の女性は重要な仕事を担当すべきでない | 33.8 | 33.2 | 98.2 |
4 | 自治会や町内会の重要な役職は男性が担うべきだ | 19.9 | 19.2 | 96.5 |
5 | 女性は結婚によって、経済的に安定を得る方が良い | 28.6 | 27.2 | 95.1 |
6 | 女性には女性らしい感性があるものだ | 45.7 | 43.1 | 94.3 |
7 | 男性は仕事をして家庭を支えるべきだ | 48.7 | 44.9 | 92.2 |
8 | 大きな商談や大事な交渉事は男性がやるほうがいい | 23.1 | 20.9 | 90.5 |
9 | 事務作業などの簡単な仕事は女性がするべきだ | 17.3 | 14.8 | 85.5 |
10 | 共働きで子どもの具合が悪くなった時、母親が看病するべきだ | 24.9 | 20.3 | 81.5 |
11 | 仕事で成功していても、結婚をしていない女性は何かが足りないと感じる | 20.4 | 16.4 | 80.4 |
12 | 組織のリーダーは男性の方が向いている | 26.1 | 20.9 | 80.1 |
13 | 男性であればいい大学をで出世を目指すべきだ | 24.4 | 19.4 | 79.5 |
14 | 共働きでも男性は家庭よりも仕事を優先するべきだ | 28.4 | 21.6 | 76.1 |
15 | 受付、接客・応対(お茶だしなど)は女性の仕事だ | 24.1 | 18.3 | 75.9 |
16 | 家事・育児は女性がするべきだ | 27.3 | 20.7 | 75.8 |
17 | 営業職は男性の仕事だ | 14.6 | 10.6 | 72.6 |
18 | 仕事で成功していても、結婚をしていない男性は何かが足りないと感じる | 22.9 | 16.4 | 71.6 |
19 | 親戚や地域の会合で食事の準備や配膳をするのは女性の役割だ | 22.7 | 16.2 | 71.4 |
20 | 職場での上司・同僚へのお茶くみは女性がする方が良い | 22.2 | 15.8 | 71.2 |
21 | 転勤は男性がするものだ | 22.2 | 15.8 | 71.2 |
22 | 女性は論理的に考えられない | 20.8 | 14.8 | 71.2 |
23 | 女性はか弱い存在なので、守られなければならない | 33.1 | 23.4 | 70.7 |
24 | 結婚したら姓を変えるのは女性であるべきだ | 24.2 | 16.7 | 69.0 |
25 | 男性が洗濯物を干すのはみっともない | 11.9 | 8.2 | 68.9 |
26 | 職場では、女性は男性のサポートにまわるべきだ | 16.1 | 11.0 | 68.3 |
27 | 女性社員の昇格や管理職への登用のための教育・訓練は必要ない | 13.3 | 9.0 | 67.7 |
28 | 学級委員長や生徒会長は男子が、副委員長や副会長は女子の方が向いている | 15.7 | 10.6 | 67.5 |
29 | 実の親、義理の親にかかわらず、親の介護は女性がするべきだ | 15.7 | 10.6 | 67.5 |
30 | 男性より女性の方が思いやりがある | 25.8 | 16.5 | 64.0 |
31 | デートや食事のお金は男性が負担すべきだ | 34.0 | 21.5 | 63.2 |
32 | 仕事より育児を優先する男性は仕事へのやる気が低い | 16.5 | 10.3 | 62.4 |
33 | 男性は人前で泣くべきではない | 28.9 | 17.6 | 60.9 |
34 | 男性は出産休暇/育児休業を取るべきでない | 15.6 | 9.4 | 60.3 |
35 | 男性は結婚して家庭を持って一人前だ | 30.4 | 17.9 | 58.9 |
36 | PTAには、女性が参加するべきだ | 22.9 | 13.2 | 57.6 |
37 | 女性の上司には抵抗がある | 17.7 | 10.1 | 57.1 |
38 | 家を継ぐのは男性であるべきだ | 25.4 | 14.1 | 55.5 |
39 | 同程度の実力なら、まず男性から昇進させたり管理職に登用するものだ | 18.1 | 9.9 | 54.7 |
40 | 女性に理系の進路(学校・職業)は向いていない | 13.0 | 7.0 | 53.8 |
41 | 男性なら残業や休日出勤をするのは当たり前だ | 18.7 | 9.5 | 50.8 |
表の下部、男性のほうがより強い偏見を持っている項目には男女双方に対して敵対的な傾向のもの(例:41、40、39、38、37など)が多く見える。また表の上部、男女が同程度の偏見を持っている項目ほど、女性に対して慈悲的な傾向のもの(3、5、6、7、8、9など)が多く見える。
女性に対する思いやりのように考えられているものであっても、ジェンダー・ロールについてのアンコンシャス・バイアスは性差別と結びつき、女性が指導的地位に就くことを阻害する。私たちは自分たちのジェンダー・ロール意識とアンコンシャス・バイアスに自覚的になり、慈悲的性差別をなくしていかなればならない。
女性は慈悲的性差別者を好む
米アイオワ州立大学心理学教授のペリン・ギュル博士らの研究[32]は、女性は慈悲的性差別を認識していてもなお、慈悲的な態度をとる男性に好意的であることを明らかにした。慈悲的性差別とみなされる行動をとった男性について、恩着せがましく、パートナーを貶める可能性が高いと認識したにもかかわらず、それらの男性に魅力を感じるのだという。
女性たちが慈悲的性差別とみなされる行動や態度をとる男性を高く評価したポイントは「守ってくれそう」「与えてくれそう」「責任を果たしてくれそう」というものだった。この調査結果が示すことは、個人レベルでは、男性が女性にアプローチするとき、慈悲的性差別をするのが適応的だということだ。
しかし求愛時に慈悲的性差別者だった男性は、結婚後には矛盾なく敵対的性差別者になる。どちらも性差別者であることに違いはない。求愛時にはドアを開けてやり、支払いをしてやった男性は、結婚後には家事育児などの伝統的なジェンダー・ロールを妻に押しつける夫になる[33]。慈悲的性差別やアンコンシャス・バイアスについての啓蒙は、女性にとって非常に重要だ。
まとめ
筆者の個人的な考えだが、慈悲的性差別の歴史は人類の歴史だ。その根拠は女性の上方婚志向が本能であることが各種の研究で強く示唆されていることだ。人類はその歴史の中で、女性は資源獲得能力の高い男性を選好し、男性は慈悲的性差別で女性を養って、今に至っているのだろう。
しかし本能は理性によって克服されるべきだ。女性を甘やかす家父長制が悪とされ、男女平等、男女同権が当然となった現代に、慈悲的性差別はそぐわない。現状でもまだ社会的達成を脅迫されている男性は、一方で女性の社会進出を阻みながら、もう一方では自分たちは命をすり減らして働いている。
私たち男性が持っているアンコンシャス・バイアスは根強い。自覚的によく見直し、女性は子供のような存在ではなく一人前の責任ある大人であり、守る必要も養う必要もないことを意識しよう。それが女性の自立と社会進出を助けることになる。差別をなくすためには、私たち一人一人の意識改革と行動が必要なのだ。