受動的攻撃(Passive-Aggression)とは、自分の怒りを正直に率直に表現できない人が、直接的にではなく間接的に怒りを表現することをいう。怒りや不満や苛立ちを言葉で相手に直接伝えることを避け、無害に見せかけながら態度や当てこすりなどを使って間接的に攻撃する。本稿ではこの受動的攻撃について、例、原因、対処法、直し方までを解説する。
この記事の目次
受動的攻撃とは
受動的攻撃(passive aggression)とは「受動的な(能動的でない間接的な)攻撃」であり、表面的には無害に見せかけた攻撃のことをいう[1]。受動的攻撃では、怒りや苛立ちを相手に直接伝えることを避けながら、相手に対して否定的な行動で間接的に相手を攻撃する[2]。典型的な例は次のようなものだ。
- 口では「うんわかった」や「大丈夫よ」などと言う一方で、聞こえよがしな溜め息や舌打ち、音を立ててドアを閉めるなどの方法で反撃する。[3]
- 不機嫌そうに振る舞っておきながら、どうしたのか問いかければ「何でもないわ」や「怒ってないわ」などと否定することで、相手に困惑と苛立ちを与える。[4]
- 頼まれごとを快く聞き入れておきながら、後からあれこれ言い訳したり忘れたふりをするなどしていつまでも実行しないことで、間接的に相手を否定する。[5]
受動的攻撃的行動は否定的な感情を、率直に表現する代わりに間接的に表現する行動様式だ。このため受動的攻撃的な行動をとる人は、上記リストのように言っていることとやっていることに食い違いが生じる[6]。受動的攻撃者の言行不一致は、周囲の人を混乱させ、攻撃者に対する不信感を持たせる[7]。
原因
受動的攻撃性は、怒りの感情を抑圧されて育った場合や、鬱病によるものなど、幼少期の体験や精神疾患、または性格に起因するとされる。以前は人格障害[8]の一種(受動的攻撃性パーソナリティ障害[9])ともされていたが、現在は人格障害にはリストされていない。現在の受動的攻撃性の原因と考えられているものは次の通りだ。
- 怒りを爆発させる保護者の元で育った場合 – 怒鳴られたり身体的に攻撃されたりといった親の爆発的な怒りに触れながら育った場合、他人や自分自身の怒りの感情に恐怖を感じながら成長するため、受動的攻撃性が発達する可能性が高い。[10]
- 怒りを抑圧する保護者の元で育った場合 – 怒りの感情を禁じる家庭で育った場合、怒りの感情を適切に表す方法を学ぶ機会を持っておらず、怒りの感情を表現しない受動的攻撃性が発達する可能性が高い。[11]
- 鬱病の影響 – 独ザールラント大学のクリスチャン・シャンツ博士らの研究は、鬱病と受動的攻撃行動との間に関連があり、その人の考え方や、否定的な状況の捉え方、苦痛への対応方法の組み合わせで起こることを明らかにした。[12]
- 対立することへの抵抗感 – 自己主張したり感情を出すことが難しく、自立できない、または自立することが怖い場合、自分の怒りの原因と対決することなく感情に対処するために、受動的攻撃行動に頼ってしまう可能性が高い。[13]
リスク
受動的攻撃はあくまで攻撃だ。精神看護師を対象に実施された2018年の研究によれば、受動的攻撃には他の形態の攻撃と同等の精神的ストレスを与える効果があり、さらに、受動的攻撃は直接対処することが難しいため信頼関係を破壊する効果が高いことがわかったという。受動攻撃のリスクは次の通りだ。[14]
- ストレスの増大 – 受動的攻撃性にさらされることは、より典型的な攻撃性にさらされるのと同じくらいストレスになる。さらに、攻撃性を認識したり、適切に対応したりするのに苦労することで、ストレスが強くなる。
- 人間関係の破壊 – 受動的攻撃は本人の攻撃的な意図を隠蔽するため、周囲が意図に直接的に対応することが難しい。さらに、コミュニケーションや説明責任を果たすことなく攻撃性を伝えることで、人間関係を損なう。
- コミュニケーション不良 – 受動的攻撃性とは自分の感情を直接伝えるのを避けようとすることであるため、相手が攻撃的な意図を否定する場合は特に、人間関係のコミュニケーションに悪影響を及ぼす。
- 攻撃性の加速 – ある人の受動的攻撃に対して、周囲が受動的攻撃で対抗したり、さらには能動的な攻撃にエスカレートすることがある。受動的攻撃性は人間関係の中に暴力の種をまく。
- 精神衛生の悪化 – 受動的攻撃性は精神的健康の悪化の結果である可能性がある。受動的攻撃性は、神経性食欲不振症、境界性人格障害、適応障害などの精神的な健康状態と相関していることがわかっている。
受動的攻撃の目的は相手にダメージを与えることだ。直接的な攻撃を避けながら間接的な方法で攻撃し、相手を怒らせたり困らせたりすることで心理的なダメージを与える[15]。間接的な攻撃であるため問題を認識しにくく、問題が明らかになったときにはすでに事態はかなり悪化している可能性が高い[16]。
攻撃者
アメリカでの研究にによれば、アメリカ人にとって最も受動的攻撃性があった人は、1位が職場の同僚 (20%)、2位が家族の母親 (18%)、3位が友人 (16%) だったという[17]。つまり受動的攻撃者は身近などんなところにもいるということだ。そして回答者の83%は、相手が受動的攻撃性を継続している場合、関係を終了すると答えている。
すべての女性には受動的攻撃性が埋め込まれているとする意見もある[18]。受動的攻撃を行う人の多くは、家庭では母親や妻、娘、姉や妹であり、職場では女性の同僚や上司や部下であり、恋愛関係では彼女だ。男性も受動的攻撃をするが、それを継続する人は稀で、常に受動的攻撃性の高い反応をする人となるとさらに稀だ。しかし女性は異なる。
- 女性は幼い頃から、優しく親切でいるように躾けられている。
- このため衝突を恐れて本音が出せず、共感的な会話に頼る傾向にある。
- こうして本心を語らず、受動的攻撃を使って主張するようになる。
つまり女性の受動的攻撃性は「察して」だ。自分の主張や要望や不満をはっきりと直接的に主張せず、自分の問題に自分で対峙することをせず、他人が察して動いてくれるのを待つ。他人がなかなか動いてくれない場合、受動的攻撃で報復する。「察して」は有害な女らしさであり、それが受け入れられないときに報復するのは道徳的優位性の誤謬だ。
原因の項で述べたように、受動的攻撃性は虐待的・抑圧的な家庭で生育した結果である可能性が高い。受動的攻撃を使うことが常態化している家族の中で育てば、健全で率直なコミュニケーションを学ぶ機会がない。女性に関して言えば、「察してちゃん」の母親から娘へ、そしてまたその娘へと、受動的攻撃性が受け継がれている可能性が高い。
受動的攻撃の例
受動的攻撃に見えるものの中には、故意ではない偶発的な事態であることもあれば、故意であってもごく稀で程度が軽く問題にならないものもある。ほとんどの人は時折、受動的攻撃性のあるコミュニケーションをとる。受動的攻撃は間接的な抵抗で、たまにであれば必ずしもモラハラや虐待であるとは限らない[19]。
しかし受動的攻撃行動が度重なり、繰り返し使われ、長期にわたるようなら、それは意図的な攻撃だ。言葉や態度による暴力で相手の人格や尊厳を傷つければ、それはモラハラであり虐待となる。こうした慢性的な受動的攻撃、つまりモラハラや虐待を行う者の多くには、次の共通した特徴がある[20]。
- その相手からの扱いに理不尽さを感じる。
- その相手と一緒に過ごすと不愉快な気分になる。
- その相手は怒りの感情を直接的に表現しない。
- その相手のこうした行動は長い期間続いている。
以下に、典型的な受動的攻撃行動を紹介する。誰でも身近な人物の中に、こうした行動が習慣化している不愉快な者がいることだろう。その人物との関係性によっては、何らかの対応をとる必要があるだろう。受動的攻撃行動をとる身近な人物を思い浮かべながら、以下の各例をチェックしよう。
態度で不満や不賛成を表現する
不平や不満、気に入らないことを率直に言うのではなく、ふくれっ面をしたり、腕を組んだり、目を丸くしたり、大きな音を立ててドアを閉めるなど物を乱暴に扱ったり、といった不機嫌な態度で不同意や反抗、拒否を表現する。ネガティブな感情を直接口にせずに態度で表現する行動はすべて、典型的な受動的攻撃行動だ。[21]
故意に遅れたり忘れたりする
口では快く引き受けておきながら、依頼された仕事を後回しにしたり、締め切りを守らなかったり、約束の時間に遅刻したり、約束そのものを忘れたりする。意図的にこうした行動を繰り返すことで、相手を軽視していることや、不同意や反抗、拒否の意を示す。反抗期の子供に多い受動的攻撃行動だが、大人もこれをすることがある。[22]
正面から反論せず皮肉や嫌味を言う
皮肉や嫌味とは「人が本心とは違うことを言う」行為であり、受動的攻撃の要件である言行不一致そのものだ。これを他人を罰するための武器として繰り返し使う場合、受動的攻撃となる[23]。多くの場合、思ってもいない賞賛や感謝、労いなどの言葉が使われる。皮肉や冗談を武器にすれば、関係に緊張状態をもたらす。[24]
わざと無能な振りをする
不快な仕事を避けるため、あるいは他人を罰するために、無能な振りをする。例えば何かを頼まれたとき、引き受ける気はあるがやり方を知らない振りをしたり、引き受けておいてわざと下手に仕上げるなどだ。相手を落胆させ、または怒らせて、自分がそれをやり続けなくても済むように工作する。[25]
要求を無視して対話を拒絶する
コミュニケーションを遮る形での無視と拒絶は、受動的攻撃的な行動の最も有害な形態の一つであり、離婚の主要な予測因子でもある。相手からの要求に対して無視で返す行動は、相手に身体的・精神的ダメージを与え、不安や関係満足度の低下、親密度の低下、コミュニケーションの質の低下を引き起こすことが分かっている。[26]
はっきり断らずに言い訳をする
本当はやりたくないことを頼まれたとき、正直に「嫌だ」と言う代わりに「仕事がある」と言うなど、はっきり断るのではのではなく言い訳をする。自分の要求や希望を明言せず、いつも言い訳ばかりする行動は、受動的攻撃行動だ。受動的攻撃性のある人は、他の人を刺激することを恐れているが、それがかえって他の人の落胆や怒りを誘う。[27]
関係ない人に悩みを打ち明ける
受動的攻撃性のある人は自分が抱える問題を、その問題とは無関係な第三者に打ち明けることで、その問題に直接対処することなく鬱憤を晴らす。受動的攻撃性のある人は直接対決を恐れており、自分が抱えている問題に実際に対処することがない。自分自身が成熟して紛争を乗り越える代わりに、無関係な第三者からの共感で一時的な安寧を得る。[28]
問題を他人のせいにして被害者ぶる
受動的攻撃性を持った人にとって、問題はいつも誰かのせいだ。受動的攻撃性を持った人は責任を取らないので否定される。すると、否定されたことについて被害者面をし、他人を責める。こうした人はいつも言い訳をして問題を他人のせいにするが、問題を引き起こしているのは自分自身の自己破壊的な行動だ。[29]
受動的攻撃性のある人は、自分が抱えている問題に直接対処しない一方で、しばしば不当な扱いを受けている、過小評価されていると感じている。そのように不当に扱われたと感じたことをすべて記憶し、報復する。この「不当に扱われたことへの報復」という理路が、受動的攻撃行動を正当化する。[30]
受動的攻撃性のある言葉の例
密かに私をけなす友人を持つよりも、私を憎んでいると明言する敵を持つほうがいい。
カレン・サルマンソン[31](アメリカの著述家・デザイナー)
言葉が受動的攻撃であるかどうかは、その言葉が発せられるときのトーンや文脈で判断できる。以下のリストは典型的な受動的攻撃の言葉だが、これらが常に攻撃的な意図で発せられるとは限らない。これらの言葉を発する人物を観察し、声や態度のトーンと、その言葉を発した文脈を見て判断しよう。[32]
- 「あなたの気のせいよ」
- 「どうしてそんなにイライラしてるの?」
- 「何でもないわ」
- 「したいならすれば?」
- 「知ってると思ってたわ」
- 「ただの冗談よ」
- 「私は大丈夫よ」
- 「私が何を言いたいかわかる?」
- 「あなたは分かっていたはずよ」
- 「怒ってないわ」
- 「もう少しあなたが……だったら」
- 「あなたは……でいいわね」
- 「あなたは何もかも完璧にしたいもんね」
- 「今さら何よ」
- 「もちろん知ってると思うけど……」
- 「参考までに教えといてあげるけど……」
- 「私の勘違いなら教えてほしいんだけど……」
- 「あなたは忘れてるでしょうけど……」
- 「進み具合はどう?」
受動的攻撃への対処法
受動的攻撃性に対処するための核心は、攻撃者の思考、感情、行動の責任を、攻撃者自身の手の中に戻すことにある。攻撃者は怒りや不満など根本の問題を隠そうとするが、攻撃者自身が問題と率直に対峙することが必要になる。自分の問題に対処するのは自分の責任だ。自分の責任で対処するなり、対処を依頼するなりしなければならない。
自分の問題との率直な対峙は、受動的攻撃的な人に強力なインパクトを与える有効なツールだ。人間関係にダメージを与えるような言葉の戦いに勤しむのではなく、衝突を回避しながら他者と話し合い、要望を伝え、依頼すべきことがあればきちんと率直に依頼することで、隠れた怒りを制御できるようになる。[33]
受動的攻撃者への対処法
今日から出会うすべての人に、その人が真夜中までに死んでしまうかのように接してみよう。できる限りの配慮と優しさと理解を彼らに与えるのだ。あなたの人生はもう二度と元には戻らないだろう。
オグ・マンディーノ[34](アメリカの著述家・講演家)
受動的攻撃性の概念を知り、身近な人物の中に受動的攻撃性を明確に持つ人を認めたとき、少なくない人が、時間をかけて攻撃者を変えようとする。しかし残念ながら、このアプローチの多くは欲求不満と失望に終わる。攻撃者は感情を隠し、攻撃を否定するからだ。このため対峙しても徒労に終わる。[35]
受動的攻撃者が変わるのは、成熟し、自己認識を改めたときだけだ。人を変えるのはあなたの仕事ではない。受動的攻撃性に対処する最善の方法は、攻撃者の態度や行動を変えることに集中するのではなく、自分自身をしっかりと管理することだ[36]。攻撃者の怒りに律儀に付き合う必要はない。落ちついて以下のように対処しよう[37]。
- 行動をよく観察する – 相手の受動的攻撃行動を冷静に観察し、その根底にある不満や怒りに冷静に目を向ければ、どう対応すべきかが見えてくる。不毛な言い争いや感情の消耗は必要ない。
- 闘争に加わらない – 相手の受動的攻撃に対しては自分も受動的攻撃で返したくなるものだが、不毛な争いは避けよう。落ちついて「その手には乗らない」ことを宣言し、相手のゲームをプレイしないようにしよう。
- 受動的攻撃を確認する – 相手がしていることについて、自分はそれが受動的攻撃であると認識していることとその悪影響を、理由とともに相手に伝えよう。そして、不満や要望は直接的に言わなければ伝わらないと教えよう。
- 意見だけを述べる – 意見だけを述べたら引き下がろう。あなたが言うべきことを言ったら、あとは相手の自分自身の問題だ。その相手が配偶者であれ子供であれ、その人の問題にはその人自身で対処してもらうほかない。
- 繰り返し1〜4を実施する – 受動的攻撃者が配偶者など家族だった場合、似た状況は何度も訪れる。そのたびに同じ手順で対処しよう。相手が自分から変わるまで、相手の行動や心理を観察し、自分のペースを守り、意見を述べることを繰り返そう。
- 関係を構築する – お互いに率直な意見を交わせる頻度が上がり、受動的攻撃行動が穏やかになってきたら、それを強化する方向で新しい関係性を構築していこう。ただしここまでの努力が報われないなら、関係そのものを解消するのもよい。
受動的攻撃行動の責任は、それをする本人が引き受けるべきものだ。あなたが本人に代わって責任を負うことはできない。あなたにできることは、その状況下における自分の役割について率直に話し、できることをするだけだ[38]。境界線を明確にし、率直になり、身を守ろう。難しければより距離を置き、それでも難しければ関係を断てばよい。
自分の受動的攻撃性の直し方
平和とは、争いがないことではなく、争いに対処する能力があることです。
マハトマ・ガンジー[39](インドの政治的・精神的指導者)
自分の受動的攻撃性を認めることができるなら、直すこともできる。受動的攻撃性を持つこと自体は珍しいことではない。調査ではアメリカ人の82%が自分自身の受動攻撃性を認めており[40]、自分の受動的攻撃性を認めたあなたは、82%の健康な側にいる。あとは行動を直していくだけだ。
受動的攻撃は身近な相手に対して使われやすい。したがってこれを直すには「初対面の相手にしない言動は身近な相手にもとらないようにする」ことが有効だ。東ミシガン大学女性学修士でありウェイン州立大学カウンセリング修士でもある公認心理師・カウンセラーの髙山直子は次のように述べている[41]。
誰かに対して、自分の言動がハラスメントになっているのではないかと心配になった時、一番簡単にリスクを下げる方法は、初対面の人に同じような言動をするかという基準に一度戻すことである。誰しも初対面の人に対しては、ある程度の距離感を守り、不要に相手を侵害しない意識が働きやすい。
例えば、家族など長年の関係があり、つい一線を超えてしまい、これは言い過ぎたとか、やり過ぎたと思うことがあるかもしれない。そんな時は、初対面の人に同様の言動をするかを考えてみて、しないのであれば、家族だろうが誰が相手であろうがそうした言動は控えたり、繰り返さないことで加害のリスクを減らすことはできる。
令和4年度DV防止啓発講演会「外では見せない内の顔」髙山直子[42]
受動的攻撃性を持ち続けることはそもそも人生の無駄だ。受動的攻撃性を維持するためには、問題解決を横に置いたままにして、怒りと欲求不満を心の中でマグマのように沸き立たせている必要がある。これには無駄なエネルギーを消費するが、そのエネルギーは問題解決に使ったほうがよい。受動的攻撃性は問題を悪化させるだけだ。
あなたは、他者があなたの事情を察してくれないことに腹を立て、あなたの事情に合わせて動いてくれない他者に腹を立て、そして怒りにまかせて受動的攻撃で報復している。これは客観的にはただの我が儘だ。あなたの我が儘に付き合う義務を持つ人はいない。あなた自身が健全な自己責任を受け入れる必要がある。
受動的攻撃性を直すために必要なことは、自分の問題を素直に見つめ、率直な言葉にすることだ。他人に同意しないときは「私は同意しません」と言おう。「私はそれが好きではありません」や「そのアイデアは私には良いものと思えません」でもいい。そして必要なら思慮深く謙虚に対案を出そう。これが健全なコミュニケーションだ。
まとめ
受動的攻撃行動は世の中で最も迷惑なものの一つだ。もし誰かを憎んでいるのなら、その人に面と向かって言うべきだ。
ニティン・ナムデオ(インドの実業家・起業家)
実のところ私たちは誰でも、少し気を抜いていれば受動的攻撃性を発揮してしまう。本心を隠して調子のいいことを言い、そのくせ怒りを隠すことができない。その一方で、他者から受動的攻撃を向けられたときには大いに傷つく。私たちが持つこの性質を自覚していれば、自分や他人の受動的攻撃に対処できるようになる。
手に負えないのは、自分の攻撃性を自覚できない人だ。自分の行いに目を向けることなく自分を被害者の位置に据え、他人の攻撃性ばかりを一方的に憎んでしまう。このような人が極まった受動的攻撃者になる。自分の攻撃性を自覚できずに受動的攻撃を繰り返す人が身近にいる場合、それが配偶者や親だったとしても、関係を解消するなり距離を置くなりしたほうがいいだろう。